【特別編】あなたは「スポーツデザイナー けんじお兄さん」を知っていますか?

あなたは「スポーツデザイナー けんじお兄さん」を知っていますか?

☆今回の記事は、高校、大学の同級生であり、僕の大切な友人である松岡敦子さんが、真心込めて書いてくださいました(涙)。

彼女は、BenesseやLCA国際小学校、Kingham Hill School(イギリスの中高一貫校)などで、ご勤務の経験もあり、教育に熱意のある方でもあります。

正直、めちゃめちゃ恥ずかしいのも事実ですが、こんな風に紹介してもらえて光栄ですし、とっても嬉しいです!

迷いもありましたが、ある1人の方のためにアップさせていただくことにしました。よかったら読んでみてください(^^ゞ✨

☆☆以下、本文になります😊🌸

あなたは「スポーツデザイナー けんじお兄さん」を知っていますか?

「スポーツデザイナー」聞き慣れない職業ですね。そのまま訳すと「スポーツをデザインする」仕事になりますが、その内容は、スポーツインストラクター、ダンスコレオグラファー、トレーナー、講演家……と多岐に渡ります。

本人曰く、「フリーランスの体育教師」とのことですが、その活動は既存の「教師」としての枠を超えています。

けんじお兄さんは今、「スポーツ×教育×世界」を軸に、日本の教育の閉塞感を打破しようと、日々奮闘しています。そんな彼の歩みを追いながら、その素顔に迫りたいと思います。

話は25年前に遡ります。高校時代、けんじお兄さんは、野球部に所属し、日々、練習に励んでいました。そのため授業中は、机の上に突っ伏して、豪快に爆睡する姿をよく目にしたものです(笑)。

そのため成績は散々たるものでしたが、0点の答案ですら、笑いのネタに変えていく「やんちゃさ」が、彼にはありました。彼は人を楽しませることが大好きで、いつも彼の周りにはみんなの笑顔がありました。

3年生の夏の実力テスト……その時、けんじお兄さんの成績は文系220人中最下位という成績でした。目の前に突き付けられた現実に「こんな試験に一体、何の意味があるのか」と、もがき苦しみます。

でも、彼はそこから逃げませんでした。できないことに、まっすぐに立ち向かっていったのです。「第一志望の大学に受かって、こんな勉強には意味がない、と文句を言ってやる」と。

そして、『同じように勉強に苦しむ後輩たちに希望を与えたい』と真剣に戦いました。彼のやる気スイッチがオンになったときの集中力は特筆に値するものがありました。彼は野球の道具をすべて封印し、凄まじい追い込みをかけました。

さらに、けんじお兄さんは滑り止めの大学を1つも受けず逃げ道をなくしました。その上で見事、東京学芸大学教育学部に合格し、体育教師としての第一歩を踏み出すのです。

決して優等生ではない彼は、教員採用試験に何度も何度も落ちました。しかし、彼は諦めませんでした。8回目の挑戦で、ようやく子どもの頃からの夢であった公立学校の高校教員になります。まさしく、七転び八起きですね🌸

スポーツが大好きで、人を応援することが大好きで、人が成長していく姿を見ることが大好きで……まさに体育教師は彼にとって、天職でした。

 

可能性を秘めた子どもたちと真っ直ぐに向き合う日々は充実していました。気づけば、彼を慕う教え子や同じ志を持つ同僚の大きな輪が広がっていました。そして、けんじお兄さんは一つの大きな夢を抱くようになります。「世界一の体育教師になりたい」と。

しかし、その一方で、けんじお兄さんは、教員を取り巻く環境に、疑問を抱き始めます。教員の仕事は、授業だけでなく、生徒指導、公務分掌、部活動、と多忙を極め、長時間労働、休日出勤は当たり前、プライベートも犠牲となっている状態でした。

「教員が疲弊しきっている状態で、生徒との時間を大切に向き合えるはずがない」
「お互いがもっと楽しく、明るく、元気になる方法はないだろうか」……と。

よりよいアプローチを模索し、変化を求め続ける彼は、教員の間で異質な存在として扱われました。

日本の教育現場は「画一化」「均質化」を求めており、周囲は変化に対して後ろ向きで、諦めに近いような雰囲気が漂っていました。

ちょうどその頃、けんじお兄さんは結婚をしますが、その生活はうまくいかず、離婚へと追い込まれます。愛する一人娘との別れを経験し、失意の底に突き落とされた彼は、死というものを意識するようになります。

「死にたい。相手をあやめて、自分も死んでしまいたい」と……。

その時、頭をよぎったのは、生きたくても生きることができなかった自分の大切な人たちの存在です。大好きだった祖父母、親戚の叔母、高校時代の同級生、大学時代の同級生、後輩、かわいい教え子……。

彼らの存在によって、彼は死を思いとどまることができたのです。そして、このどん底から這い上がることができたのには、生き別れとなった、最愛の娘の存在がありました。とにかく元気でいてほしい、毎日楽しく過ごしてほしい、自分らしく生きてほしい、いっぱい笑ってほしい……そんな娘への想いを綴りながら、けんじお兄さんは気づいたのです。

「僕が娘に願うように、僕が生きればいいのだ」

「いつか娘に会ったとき、自慢のお父さんでいたい」

「誰よりも、何よりも、たった一人の娘に喜んでもらいたい」

そのエネルギーがやがて彼を世界へと突き動かしていきます。いろんな世界を見てみたい、いろんな人たちと話してみたい、新しいスポーツ指導や教育活動にチャレンジしたい……。

けんじお兄さんは、40歳を目前にして、スポーツ指導ボランティアとして、世界一周の旅に出かけます。「握ったままの手では新しいものは掴めない」という言葉のとおり、彼は様々なしがらみを手放すことで、新たな世界を手に入れたのです。

フィンランドへと向かう飛行機の中で、なぜか涙が頬をつたいました。「死にたいとまで思ったあの経験が、人生を変えるきっかけになった」と……。後に、とことん憎んでいた相手に対して「今は感謝の気持ちしかない」と、笑って話していた彼の姿が強く印象に残っています。

☆ネパールの学校の様子

☆デンマークの学校の様子

☆インドの子どもたちとクリケットした時

世界の国々を回り、様々な文化に触れ、カラフルな人々と出会い、活動を共にすることで、けんじお兄さんには大きな夢が生まれます。

世界中の人々を笑顔にしたい

同級生を楽しませることが大好きなやんちゃな高校生だったからこそ、生徒や同僚を応援することが大好きな破天荒な体育教師だったからこそ、生まれた願いでした。帰国後、けんじお兄さんは教員として復職しますが、頭の中はそのことでいっぱいでした。「世界中の人々が笑顔で繋がるために、自分にできることは一体何だろうか」

1年後、彼は退職し、退路を断って「スポーツ×教育×世界」を軸に「スポーツデザイナー」としての活動を始めます。

……疲弊しきっている日本の教育現場を何とかしたい、そのためには教員の意識を変えていく必要がある、ならば教員同士が交流できるような場やシステムを作ってはどうだろうか、日本だけでなく世界の国々の教員とも繋がることはできないだろうか……

……発展途上国では、スポーツの指導者が不足している。国際ボランティアとして、日本の教員や学生を現地に派遣できないだろうか……

……スポーツがもっと楽しく、好きになるような方法を提案していきたい、日本だけでなく、海外でも指導経験を積み重ねたい……

けんじお兄さんが訪れたたくさんの国の中で、彼が最も心惹かれたのが「タンザニア」でした。楽しく、温かく、陽気なタンザニアの人々は、まるで家族のように彼を迎え入れ、数え切れないほど生きる上で大切なことを教えてくれました。

タンザニアの人々のために何か恩返しがしたいと……考えた末、彼が見つけた一つの答えは「タンザニアの子どもたちにスポーツダンスを広げる」ことでした。

タンザニアの子どもたちの身体能力は高く、野球やバスケをしたい子どもたちがたくさんいます。しかし、現地には経験のある指導者もいなければ、十分な道具もありません。

そこで、けんじお兄さんが生み出したのが「スポーツダンス」です。つまり、ダンスの振り付けの中に、野球やバスケで必要な動きの要素を取り入れ、そのダンスを踊ると自然にそのスポーツに必要な動きを身に着けることができるというものです。

これなら、道具がなくても技術を高めることができる、しかもタンザニアの子どもたちは踊ることが大好き、さらに一緒に踊ることで友好を深めることができる……まさに一石三鳥ともいえるダンスです。

けんじお兄さんは早速、クラウドファンディングでその資金を募ることにします。彼の志に多くの仲間が共感し、わずか3日で目標金額に達します。

最終日には、計85名の仲間が賛同し、目標に対し330%を達成する大成功をおさめました。たくさんの人の応援を胸に、けんじお兄さんはアフリカへと旅立ち、夢の具現化に向けた一歩を踏み出したのです。

今、けんじお兄さんは、自身が肌で感じた世界での体験についての講演、教員をより元気にするためのコミュニティの形成、スポーツダンスの他国への展開……と、様々な活動を模索しています。

『「自信」は「慈心」』という言葉があります。「自分を信じる気持ちとは、相手のことを想う気持ちから生まれる」、それを体現しているのが、彼だと思います。だから、けんじお兄さんは不器用で弱いけれど、誰かのために強くなろうと懸命に生きています。

様々な挫折を味わいながらも、その一つひとつの出会いと経験に感謝し、自分にできる小さな一歩を踏み出そうとするその姿は、いつも大きな勇気とある種の感動を与えてくれます。

いつの日か、彼が「世界一の体育教師」になったとき、日本の教育は、きっと大きく変わっているだろう、そんな気がしてなりません。

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